洛中洛外 虫の眼 探訪

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木を測る

洛中巨樹探訪 賀茂川右岸の巨樹調査概要
 1. メートル単位で示した幹周りは、小数点以下二桁目を四捨五入したものである。
 2. 本文中の[ ]内の数値は樹木地図中の番号に対応している。
 3. 樹木地図は全行程、出町橋から御薗橋までを3分割して作成した:
  (1) 出町橋から出雲路橋
  (2) 出雲路橋から北山大橋
  (3) 北山大橋から御薗橋
 4. 本文中の1〜5の表題をクリックすれば該当部分の地図が拡大表示される。
   ブラウザの機能を使って見やすい大きさにするか、縦横スクロールで見たい
   部分をウインドウ内に納めてください。
  お手数をおかけしますが、ご容赦下さい。


1出町橋から葵橋まで205m
1 shidareyanagi a 出町橋西詰、公衆便所の側にシダレヤナギ[1]の古木がある。向かって右手、南側に鯖街道口の碑が建つ。10年程まえ、主幹が伐採されてから、背丈が低くなり、なかなか元気を取り戻さなかったが、ようやく最近、小枝が繁茂し始めなんとか丸い樹形を取り戻している。残っている主幹は本空でしかも表皮の半分は欠損している。そのため主幹の幹周を測定するのは難しいが、かってあったであろうと思われる形を復元して測定すると1 shidareyanagi b 3.50mになった。出町柳界隈に大きなシダレヤナギが少なくなったいま貴重な存在である。
 出町橋から葵橋まで200mの間にはソメイヨシノとクロマツの並木が見られる。特にソメイヨシノは全部で6本[2, 3, 4, 6, 8, 10]もあり、その中の3本は立派である。南から4.2m[3], 3.4m[8], 3.2m[10]とれっきとした巨樹である。3本とも堤防斜面にあり、長い枝を河川敷へ低く伸ばし、毎年この下で花見の宴が催される有名なお花見の場所である。この6本のサクラの間には抱えきれない大きさのクロマツが植わっている。それぞれ幹周は1.7m[7]と2.0m[9]。サクラとマツが交互に植えられた並木のようで、ここから北の堤防上にこのような並木が何カ所か見られる。
 葵橋の南西詰にある階段を降りた所に幹周2.5mと1.5mのアキニレ2本[11]がある。さらにもう少し南にも桜に混じって幹周2.65mのアキニレ[5]が隠れている。アキニレは葵橋より上流、出雲路橋までの間には何本も見られるが、河原に自生する雑木であり一般に注目されること少ない。幸い、何本かの幹に樹名を記した札がぶら下げてあり、それと知ることが出来る。アキニレはイシゲヤキ、カワラゲヤキ、ヤマニレともよばれるニレ科の落葉高木である。秋に花が咲くニレ科の木であるからアキニレである。ニレと云えばハルニレを指す。ハルニレが北海道、本州産地に自生するのに対してアキニレは本州中部以南、四国、九州、さらにもっと暖かい台湾にも分布している。

2 葵橋から出雲路まで 775m
 広々とした葵橋の下をくぐり抜けると、鴨川公園の河川敷に出る。このあたりにはアキニレが多いが、その中でも葵橋から100mほど上流にあるこぎれいなベンチのたもとですばらしいアキニレの巨樹[18]にでくわす。その低くたれ込めた枝張りの広さに驚く。幹周りも3.2mとアキニレにしてはたいへん太く、しかも一幹ですらっとしている。この近辺には他にも9本のアキニレ[12, 13,16, 19, 20, 21]が認められ、その内の1本は幹周り3.0mの巨木[21]である。
 アキニレの他にニレ科の樹木としてはムクノキ[14]とエノキ[40]がそれぞれ1本あるがケヤキは認められない。これが、出雲路橋より上流との際立った違いである。   
 一方、幹周り2m前後のソメイヨシノの古木は何本も見られる[22〜29, 32〜34, 36, 38, 39, 42]。この中で34番が幹周3.5mで最大である。このソメイヨシノ並木間にクロマツの巨木[30, 31, 35]が何本か残っている。
 

コラム アキニレの巨樹

  奥多摩町森林館 巨樹・巨木データベースより

3 出雲路橋から北大路橋まで680m
 出雲路橋をくぐったところにグランドがある。この南西端、加茂街道を後ろにしてエノキの巨樹2本[45, 46]が聳えている。出雲路橋の北西、加茂街道を渡る横断歩道の側に「志波無桜」碑があるが、このたもとに幹周り2.4mのエノキ[44]が育っている。さらに加茂街道の向側の土手にもう一本ある[47]。いよいよここら辺りから、エノキ、ムクノキ、ケヤキの独断場となる。最大幹周り4.3mのエノキ[45]には、「区民の誇りの木」の札が取り付けられている。賀茂川をはさんで西側は北区、東側は左京区であり、この木は北区の誇りであるということか。この北側にひっそりと隠れているのも幹周り3.0mの巨木である[46]。加茂街道の向側の土手にあるのは一回り小さいがそれでも幹周りは2.4mを測る[47]。
 ここからグランドを通り越し暫くはまだ、歯抜けしたソメイヨシノとクロマツの並木が続くが、すぐにエノキの巨樹に出くわす[58]。幹周り3.7m。それを過ぎると、紫明通り挟んで、ケヤキ[59, 66, 79, 80]、ムクノキ[61, 65]、エノキ[60, 62, 63, 64, 67,68, 69,70, 72, 73, 74, 75, 77, 812, 82]が群立している。その中でもエノキの多さが際立っている。特に大きいエノキは北大路橋のたもとの2本で、幹周りは3.9m[81]と3,7m[82]である。ケヤキはこれよりやや小振りで66番の幹周り3.15mが最大である。ムクノキの数は少ないが、幹周り3.2mの一本ががんばっている[61]。
 これらの喬木の間にはけっこう大きいソメイヨシノが3本[71, 76, 78]見られる。


コラム 志波無桜碑
 賀茂川堤の桜は、京都市歴史博物館のフィールドムージアム京都の「いしぶみデータベース」によると日露戦争の戦勝記念に、京都府師範学校教職員・生徒,同附属小学校児童によって明治38[1905]年植樹されたことに始まるとある。「師範桜碑」が出雲路橋の傍に建っている。この文面からすると桜楓数千本が植樹された。また、京都教育大学教育学部附属京都小学校百周年記念誌でも賀茂川葵橋より御園橋に至る両岸の堤防に桜楓を植えることが職員会議で発議された。教職員・生徒・児童の醵金と労力奉仕により,同年11月22日に桜樹2279本・楓樹735本の植付けを完了し,12月2日に桜楓樹植栽植付完了記念式が挙行されたことが知れる。
 これが正しいとすると、賀茂川堤防のあちこちに見られるサクラとマツの並木はの残りは「師範桜」ではないことになる。植樹されたのは葵橋より北、植樹された木は桜とモミジで桜と松ではない。この堤防にはモミジはほとんど残っていない。戦勝記念には日本自慢の桜と松の組み合わせのほうがありえそうに思えるのだが。ということで賀茂川堤防の桜並木の由来ははっきりしない。


4 北大路橋から北山大橋まで840m
112 enoki この間にもエノキ、ムクノキ、ケヤキのニレ科喬木が数多く見られるが、ケヤキが優勢となる。幹周り2m以上のケヤキが8本[85, 86, 89, 99, 111, 113, 115,122]もあり、またケヤキ並木と云ってよいくらい群生している箇所が見受けられる[105]。幹周りが3mをこえるケヤキは、99番の3.2mと115番の3.7mの2本ある。次に多いのはエノキの5本[83, 83bis, 92, 112(写真), 120]であるが、いずれも巨木で, 83bis以外の4本が3mをこえている。ムクノキは2本[93, 117]と少ないが117番のムクノキは幹周り3.9mと一際大きい。アキニレも一部[109]で見られる。
101 yamaguwa サクラはこの間でソメイヨシノの他にヤマザクラ[106, 114, 121]が目立つようになる。88番のソメイヨシノは幹周り3.3mの古木である。例によってサクラに混じってクロマツも数多く見られる。その中では98番のクロマツが幹周り2.8mで最も幹周りが大きい。
 加茂街道の西側、堤防斜面にヤマグワの巨木が生えている(写真)。根際から4本に分かれており、幹周りが最大のものは1.9m、根際で測定した幹周りの全周は5.6mに達する巨木である。


コラム ヤマザクラの見分け方yamasakura
 ソメイヨシノとヤマサクラを落葉した秋に見分けるには、芽鱗を比較すればよい。芽鱗の先が外側に向き、剥がれているのはヤマサクラである(右図)。
 細かすぎて見難い場合には、そっと指先でなぜてみればよい。ちょっと刺がさす感じがすればヤマサクラである。ソメイヨシノの芽鱗はとげとげしていないから容易に判別できる。この図も見にくければ、クリックすれば拡大した図が見られる。

 
5 北山大橋から上賀茂橋まで440m
124 keyaki 相変わらず、エノキ、ムクノキ、ケヤキのオンパレードである。エノキ11本、ムクノキ7本、ケヤキ12本が記録された。特にケヤキの巨木が目立つ。124番(写真)の4.1mと146番の4.3mは特筆すべき大きさである。エノキの最大幹周りは3.3m[135]と少し小振りである。ムクノキは目立たないが、3.7mの巨木[149]がある。
134 yamasakura158 kawasakura サクラは幹周り3.6mのソメイヨシノ[129]、幹周り3.1mのヤマサクラ[134(写真)]の巨木が注目すべき存在である。また、皮だけで生きているソメイヨシノの古木がある[158].
 モミジの比較的大きい古木がある[157, 161]。それぞれ幹周り1.4mと1.9mである。

6 上賀茂橋から御薗橋まで590m
 この区間ではエノキの巨木が目立って多い。幹周り4.0m の164番、同3.9m の171番、さらに、高さ1mで幹周り3.7mと2.7mの二幹に分かれているが、分岐前ノ高さでの幹周りが5.0mもある182番の3本である。164番のエノキは古木で、エノキにしては珍しく脂をだして風下に石油くさい匂いを振りまいている。171番のエノキは、中央分離帯の北端にあり、分離帯上の南側には小振りのエノキが何本も並んでいる。182番のエノキはかも街道の西沿いの民家の前に板根を張り出し少なくともこの民家が建つ以前より存在していたものであろう。
 ケヤキはこの区間では一回り小さい。最大幹周のものでも3.1mにすぎない。ムクノキは見られなかった。
 ニワウルシの巨木が2本見られた。163番のニワウルシは雌株で地上0.7mのところで同じくらいの太さの2幹に分かれている高木である。ちょうど上賀茂はしのバス停留所のところにあり真夏にはバスを待つ人に快い木陰を提供している。167番のニワウルシは雄株で幹周り3.1mの巨木に成長している。場所は賀茂川中学校のグランドの南端の外側の土手の下にある。夏の終りにここから飛んだ花粉が、上記の雌株の花に届けられ、秋に実をつけ、それが風に舞って河川敷におちて、以前はたくさん芽吹いていたそうである。
 賀茂川中学校ががある辺りの加茂街道西側には、かなりの密度でソメイヨシノが植樹されており、並木が形成されているが、いずれの木も弱り始めている。早く植え継がないと歯抜けとなることは目に見えている。











































































































2009 霜 月

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巻 頭 言 kinmokusei_bキンモクセイは二度花を咲かす
 もう朝晩の冷え込みを感じる季節なのに、キンモクセイがまだ花をつけている。今年は長く咲いているように感じる、とわが団地の植木屋さん、小泉造園の小泉昭男さんが書いておられた。余談だが、この植木屋さんは毎月、A4一枚に写真入りで身の回りの自然についていろいろ書いてポストに入れてくださる。いつも感心するのだが、自然と人間の共生について深い洞察をさりげなく発信されている。今月号には、『KBSがフジバカマキャンペーンをしています。在来のフジバカマを増やそうというのです。とてもいいことだとおもいます。しかし、本来フジバカマは自生していたはずです。自生できる環境を戻すことを忘れてしまうとフジバカマだけが増えておかしな事になります』とある。当たり前の事ではあるが、みんな忘れて自然保護だとか在来種の復活などと称してエコがっている昨今の風潮をチクリと戒めておられる。
 さて本題のキンモクセイであるが、確かに今年は何か変だった。京都新聞の読者欄に10月の末に4件もその事を指摘した投稿があった。おおむね、今年は9月下旬に一度咲いたが、花も少なく、期待した程強く香らずにすぐに散ってしまった。でもまた10月になって再び開花、香りが漂っている。というようなものであった。我が家の近くでも、今(10月25日)盛りで、道路が黄色く染まっているのを見かける。その割につよく香らないのである。
 キンモクセイが二度咲くというのは、時々耳にすることである。「キンモクセイ 二度咲く」というキーワードでインターネットでウェッブ検索すると、Google では89,600件がヒットした。その中にこんな論文が引っ掛かった。「京都市上賀茂および下鴨地域でのキンモクセイ(Osmanthus fragrans var. aurantiacus)二度咲き現象の実態調査」(下村孝, 山本裕子/日本緑化工学会誌, 34巻1号, ps.109-114, 2008)。論文の結論では二度咲きの要因は不明であり、今後の研究が待たれる、とあった。この論文は新聞にも広く取り上げられ、おかげで多くの人に知られるようになったのは喜ばしい事であるが、以前から二度咲いていた事もあったのに気付かず、昨今の温暖化の所為にする意見が多々見受けられる。これに関してconoconoさんのブログに痛烈な批判があった。曰く『少数の、信ずるに足らないような記録(データ)からオカシな結論を導き出して世の中に警鐘は発したつもりでいい気になってしまうのでしょう。要するにデータとは関係なく言いたい結論が先ずあって、それをサポートしてくれるデータを恣意的に選んでいるだけなのです。そのような単なる個人的な思い込みを「自然からの警鐘」という形に言い変えて、真実性を与えたつもりになっているのでしょう。「自然」を持ち出されると論拠が薄弱でも納得してしまうという日本人の弱点を突いているのです。(中略)勘違いや早とちりで警句を発する者を聡明とは言わないでしょう。』とある。このconoconoさんの意見は冒頭に記した小泉さんの考えと一脈通じる所がある。キンモクセイの二度咲きに関する小泉さんの考えは『このキンモクセイは この時期に刈り込むとなん(と)二回花が咲くのをみたことがあります。強い花です。』と人間個人の所為にされている。いつも木を刈っている植木屋の悔悟の念があるのだろうか。yahooグラフ
index kinmokusei 大分横道にそれたが、ついでにconoconoさんが気付かれた面白いデータを示そう。右のグラフのように、yahooのブログ検索で「キンモクセイ」をキーワードにした時に表示される「注目度推移グラフ」とキンモクセイの千葉地方での開花のピーク日、2006年が9/23と10/9の2回、2007年が10/10(1回だけ)が見事に一致するのである(右のグラフの上)。聡明でない人は、「キンモクセイが二度咲くのは、人がキンモクセイに注目するからである」と結論づけることであろう。ちなみに今年の「注目度」をその下のグラフに示しておく。みなさんが気付かれた花盛りの時期と合っているでしょうか。これから見ると、今年は2度咲いたようである。そして2度目はかなり遅かったとが推測される。閑話休題。

kinmokusei/kihada kinmokusei haキンモクセイは金木犀と書くが、なぜ「犀」なのか。「木犀の字の由って来るところは、紋理犀のごとし、ゆえに木犀となづく」と松崎直枝の「草木有情」にあるというが、何が犀の何と似ているのか判然としない。或る人は、樹皮に菱形の紋があるからといい、或る人は固くて厚い葉に刻まれた文様が犀の皮のようだからだという。また、材の紋理が犀の皮に似ているから名付けけられたという人もある。もっと穿った説は、林羅山著と伝えられる「梅村載筆」で言及されている中国の禅僧東陽和尚の著「江湖集」の注にある説で、馥郁たる香りを辺り一面に放っている花の名を知らぬ人にこれこそ天上の桂花だと教えた二人に人物、李木と李犀の名から木犀の名が起ったというものである。中国でモクセイのを巌桂と称す。中国の景勝地桂林は古来キンモクセイの里として知られた土地である。唐代の詩人韓愈が「湘江の南(湘南)にある桂林まで来てみれば、あたかも月宮のモクセイの海を遊び歩くようだ」と詠んでいるという。

kinmokusei hana
 金木犀の花の香りはすこぶる強い。「秋ごとに垣の金もくせいは花ともない花をつけ、甘美な香りが女坂を上下する」と書いたは、京都女子大へ通っていた杉本秀太郎である。女坂は東山七条の妙法院と智積院の間の無慮数千人の女子大生が往来する坂のことである、とは彼の表現であるが、私は毎朝、この坂を上ってくる横着無人の女子中高生の波をかき分けて下っていた。甘味な匂いを漂わせた女子大生は、もっと遅い時間に上ってくる。またまた横道にそれたが、キンモクセイの花は短い筒部の先で深く四裂し、雄蕊が二本と退化した雌蕊がある。雌雄異株の木であるが、日本では身勝手な人間の嗜好の所為か、花付きのよい雄株のみ植栽されて来たので、毎年花を咲かせても実を見ることは出来ない。
 中国原産であるキンモクセイがいつ頃日本に入って来たかはっきりしないが、社寺の境内に植栽されて既に巨樹となり国の天然記念物に指定されたものもいくつかある。ちょっと古いが、沼田眞編『日本の天然記念物 5 植物鶚』(講談社1984)には、群馬県邑楽町永明寺の幹周りが3.4mもあるキンモクセイの巨樹が載っている。usugimokusei静岡県三島市の三島大社のキンモクセイは「新日本名木百選」に選ばれた有名木であるが、ウスギモクセイ(薄黄木犀)と呼ばれる沖縄,九州に自生している種で、花は淡い黄色である。二度咲きでよく知られている。その他、愛媛県西条市の往至森(オシモリ)寺、群馬県伊勢崎市の華蔵寺、佐賀県鹿島市の普明寺、宮崎県東臼杵郡北浦町古江本村河野袈裟七家の宅地内のキンモクセイ、熊本県甲佐町麻生原の馬頭観音堂のウスギモクセイが国の天然記念物となっているが、いずれも老樹で痛々しい姿である(詳しくは同書を参照)
熊本日日新聞Asobara by S この中で麻生原のキンモクセイを熊本に仮住まいしているSさんが花時に訪れて、写真を撮って送ってくれましたました。
 「10月17日の写真です。熊本日日新聞の天然記念物のキンモクセイが今年は小雨と気温が高かった影響で開花が一週間ほど遅れたという記事(右)を見て、出かけました。例年は9月下旬とのこと。花そのものの大きな写真がなくて残念なのですが、色はうすい黄色でした。」とのことですが、色が薄いのはそのはず、この 樹は中国原産で黄赤色の花が咲くキンモクセイではなく、九州 に自生して淡黄色の花が咲くウスギモクセイである。
 ギンモクセイという白い花を咲かせるモクセイがあるが、これが本来の植物学上のモクセイ科モクセイ(Osmanthus fragrans Lour.)であり、キンモクセイはその変種である。変種名のvar. aurantiacus Makinoは橙黄色の意味である。右下の画の如く、江戸時代の本草家はginmokuseikinmokusei_a精確にこの違いを描き分けている。即ち、白い花の画には「巌桂 即木犀」と添え書きし、キンモクセイの画には「一種 黄赤花ノモノ」と説明している。クリックすればはっきりと読めます。キンモクセイの蕊が4つ描かれていたり、ギンモクセイの花弁が5つになっているのは問わぬことにしよう。

洛中生息  死んじまったヨッパライ

KKH 右の写真は、四条河原町にたむろするザ・フォーク・クルセダール(フォークル)の当時のメンバーである。10月18日の京都新聞に掲載された。撮影されたのは1968年1月頃とある。甲斐扶佐義の撮った写真の雰囲気がただよっている。右上が若き頃の加藤和彦である。
 精神科医になった北山修の追悼文が同誌の19日朝刊に載っていた。自殺報道の記事に、彼のコメントがなかったので、精神科医となった彼の文章を期待して読んだが、平凡であった。曰く「もう一人の加藤和彦があまりに厳しくて、自分でじぶんを追いつめた結果、こういう結末になったのだと私は考える」。その後に「帰って来たヨッパライ」の「(おらは)死んじまった(だ)」を引用するだけで、彼の自殺についての精神分析は何一つなされていなかった。期待したのはそれだったのだが。最後の方に「私に何の相談もしないで…」なんて書いているが、相談できる相手ではなかったのではといいたい。
 写真右のチビのはしだのりひこ(本名:端田宣彦)のコメント「彼の心の内の闇を読み損ねたのかもしれない」という方が、率直で暖かみのあることばではなかろうか。
 1年で解散したフォークルのメンバーのその後の軌跡を、ネットでググってみた(昨今は、インターネットを使ってグーグルで検索して、情報を手っ取り早く集めることを、こういう風にいうらしい。「ぐぐる」は四段動詞である)。
 それらをこぴぺして(これも昨今のネット語のひとつで、コピーして貼付けるすること)、繋ぎ合わせたものは、ここをクリック。
 その結果を通して読むと、「帰って来たヨッパライ」の作詞をし「イムジン河」を世に出した松山猛を含めて、四人四様のその後の人生が浮かび上がってきた。
moguratataki.jpg それを読んで、北山は当時京都一の進学校であった「洛星高校」を、端田宣彦は「チビ」を、松山猛は「イムジン河」を背負って生きてきたのだなあ〜、とかってに思う。加藤の背負ってき、その重さに耐えられなくなった物は何だったのだろうか。
 一年限りの条件でフォークルのプロデビューには、平沼らに代わってはしだのりひこが参加したが、北山は身長を揃えるために杉田二郎を3人目に推薦した。しかし、加藤はプロ活動の条件にはしだの加入を主張したという。はしだがモグラたたきよろしく、木魚代わりにノッポの北山を叩いている映像はなにかを象徴している。はしだのキャラを彷彿とさせるエピソードが「ウエちゃんのタクシー日記 第62話」に書かれている。たいへん面白い。

洛中巨樹探訪  賀茂川右岸の巨樹を測る
 鴨川は、高野川と合流する出町より上流では賀茂川あるいは加茂川と書くならわしである。賀茂川の右岸の堤防上の街道は加茂街道といわれる。堤防と河川敷には、自然植生のニレ科の喬木のアキニレ、ケヤキ、エノキ、ムクノキが何本もあり、美しい自然樹形を競っている。堤防に沿って日露戦争の戦勝記念に植栽されたと思われる松(クロマツ)と桜(ソメイヨシノ)が交互に植えられ並木となって残っている所が何カ所か残っている。また、鴨川公園として整備された河川敷は芝生に覆われ、トベラなどの灌木が、堤防上にはサルスベリが植栽されている。さらに、自然植生とも思われるニワウルシやヤマサクラも見ることが出来る。広い河川敷は、賀茂川公園として、市民の憩いの場所となっている。
賀茂川

葵橋から御薗橋まで全部で五つの橋が架かっている:
 出町橋―(205m)→葵 橋―(775m)→出雲路橋―(680m)
 →北大路橋―(840m)→北山大橋―(440m)→上賀茂橋―(590m)
 →御薗橋      
 御薗橋を渡るとすぐ上賀茂神社である。五つの橋の下をくぐって上賀茂神社まで全行程は4Km弱、普通に歩くだけなら1時間で到着できる距離である。この間にあるめぼしい木の幹周りを測った。もちろん1時間ですまなかったが、取りかかって何日後かには、なんとか185本を測定し終えた。その結果を洛中巨樹探訪 賀茂川右岸の巨樹調査概要と題した記事にまとめた。
 詳しくは別記事に譲り、ここではこの概要のそのまた概要を記す。

出町橋〜葵橋 
 出町橋のたもとには鯖街道の石碑が建つが、その傍にシダレヤナギの古木がある。主幹は本空で、何年か前に樹高も低く切り詰められてしまったが、最近ようやく樹勢も回復し、シダレヤナギらしい樹形を見せている。背丈が低いのは残念である。
 ここから葵橋まで150m強の間にソメイヨシノの巨樹が並んおり、いずれも河原に向かって大きく枝を伸ばしている。有名な花見の場所である。最大幹周りは4.2m!

葵橋〜出雲路橋
 葵橋から出雲路橋間で、見過ごしてはならないのはアキニレの巨木である。幹周り3.2m。その他にも葵橋周辺にはアキニレが沢山育っている。
 ソメイヨシノが何本もあるものの、並木としては歯抜け状態である。サクラの間に何本かのクロマツも残っており、かっての桜と松の見事な並木街道を偲ぶことが出来る。
 出雲路橋に近づくにつれてエノキがあらわれる。

出雲路橋〜北大路橋
 出雲路橋を越えるとすぐに、エノキの巨木に出会う。幹周り4.3m。北大路橋まで、特に紫明通り周辺には、エノキ、ケヤキ、ムクが群立して、互いに樹冠の広さを競っているのが河川敷からよく見える。堤防の斜面を登って加茂街道に沿う狭い地道を歩くのも一興である。幹周り3mを越す巨木を肌で感じることが出来る。
 
北大路橋〜北山大橋
 北大路橋から上流では、堤防上の加茂街道の西側にも緑が濃くなる。エノキ、ムクノキ、ケヤキの他にもアラカシ、ヤマグワなども育っている。
 北大路橋から北山大橋間もエノキとケヤキが主であるが板根を大きく拡げたムクノキの巨樹を目にすることが出来る。幹周り4.9m!
 桜としてはこの間で始めて、ソメイヨシノの他にヤマサクラが数本見られる。
 
北山大橋〜上賀茂橋
 北山大橋から上賀茂橋もまた、エノキ、ケヤキ、ムクノキのオンパレードである。この間ではエノキに代わって、ケヤキが優勢となる。最大幹周りのケヤキは4.3m! エノキの最大木は3.3m、ムクノキの最大木は3.7mである。
 ヤマサクラとソメイヨシノの巨樹があることも見逃してはならない。それぞれ3.1mと3.6m。
 
上賀茂橋〜御薗橋
 上賀茂橋から御薗橋間でもケヤキとエノキが優勢で、ムクノキは姿を消した。特にエノキの巨樹古木が目立つ。5.0m、4.0m、3.9mと賀茂川沿いでは限界と考えられる幹周りの大きさに達している。幹周り4.0mのエノキは、エノキとしては珍しく脂(やに)を出しており、川風に流れて石油くさい匂いを放っている。
 この間で注目すべきは2本のニワウルシが大きく育っていることである。それぞ雄株と雌株で、上賀茂橋のバス停留所の雌株では、秋口に咲いた花が、晩秋を迎える前に実の入った薄くて軽い莢状のものを高い樹冠に房状につけ、風に乗って河原のあちこちにばらまくようである。このバス停のニワウルシに関するエピソードを先月号に書いた。そちらも見てください。
 上賀茂中学校の校舎とグランドが土手下に見える辺りの加茂街道は中央分離帯があり、そこにはエノキが列をなしているが、これは道路が河川側に拡張されたことにより、以前狭い堤防の斜面にあったものが残されたのではないかと推測される。
 この堤防上の加茂街道の西側の歩道に沿ってソメイヨシノの並木が形成されている。


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雑 感

洛中生息  死んじまったヨッパライ

KKH 右の写真は、四条河原町にたむろするザ・フォーク・クルセダール(フォークル)の当時のメンバーである。10月18日の京都新聞に掲載された。撮影されたのは1968年1月頃とある。甲斐扶佐義の撮った写真の雰囲気がただよっている。右上が若き頃の加藤和彦である。
 精神科医になった北山修の追悼文が同誌の19日朝刊に載っていた。自殺報道の記事に、彼のコメントがなかったので、精神科医となった彼の文章を期待して読んだが、平凡であった。曰く「もう一人の加藤和彦があまりに厳しくて、自分でじぶんを追いつめた結果、こういう結末になったのだと私は考える」。その後に「帰って来たヨッパライ」の「(おらは)死んじまった(だ)」を引用するだけで、彼の自殺についての精神分析は何一つなされていなかった。期待したのはそれだったのだが。最後の方に「私に何の相談もしないで…」なんて書いているが、相談できる相手ではなかったのではといいたい。
 写真右のチビのはしだのりひこ(本名:端田宣彦)のコメント「彼の心の内の闇を読み損ねたのかもしれない」という方が、率直で暖かみのあることばではなかろうか。
 1年で解散したフォークルのメンバーのその後の軌跡を、ネットでググってみた(昨今は、インターネットを使ってグーグルで検索して、情報を手っ取り早く集めることを、こういう風にいうらしい。「ぐぐる」は四段動詞である)。
 それらをこぴぺして(これも昨今のネット語のひとつで、コピーして貼付けるすること)、繋ぎ合わせたものは、ここをクリック。
 その結果を通して読むと、「帰って来たヨッパライ」の作詞をし「イムジン河」を世に出した松山猛を含めて、四人四様のその後の人生が浮かび上がってきた。
moguratataki.jpg それを読んで、北山は当時京都一の進学校であった「洛星高校」を、端田宣彦は「チビ」を、松山猛は「イムジン河」を背負って生きてきたのだなあ〜、とかってに思う。加藤の背負ってき、その重さに耐えられなくなった物は何だったのだろうか。
 一年限りの条件でフォークルのプロデビューには、平沼らに代わってはしだのりひこが参加したが、北山は身長を揃えるために杉田二郎を3人目に推薦した。しかし、加藤はプロ活動の条件にはしだの加入を主張したという。はしだがモグラたたきよろしく、木魚代わりにノッポの北山を叩いている映像はなにかを象徴している。


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2009年 神無月

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巻 頭 言   神 樹
basutei1 15,6年前、上賀茂橋のバス停のベンチの横に、高さ1メートル程の小さな木の細い幹に、「神樹 絶対に伐るな」と書かれた札がぶら下がっていた。神の木?、英語でTree of God とかTree of Heavenとよばれるこの木はニワウルシ(庭漆)である。葉の形はウルシにそっくりであるが、紅葉はしないし、かぶれもしない。なぜこんな所にこんな木が植わっているのか。それには深いいわれがある。この木が生えてくる前にここにはエノキの大木があって、夏の暑い日差しの下でバスを待っている人たちに、快い木陰を提供していた。ところが、いつの日か、突然何者かによってこのエノキはばっさりと根元から伐採されてしまった。1年もしないうちにその根元からエノキの若芽が芽吹いたが、その横にもうひとつ、自然に芽吹いたのか、それとも誰かが植えたのか知らないが、ニワウルシの木が生えてきて、どんどん背丈を伸ばして行った。そして、その細い幹に「神樹 絶対に伐るな」の札がぶら下がっていた。エノキのほうも、細い2本の蘖が成長しているが、ニワウルシの陰でなかなか大きくなれない。
basutei3 同僚のIさん、彼は毎日このバス停からバスに乗って、私と同様に京都から職場のある神戸まで通っていたのだが、彼にこの話したら、「それはうちの親父です」という返事が返ってきた。札をぶら下げたのは彼の親父さんとわかったが、ひょっとしてこのニワウルシを植えたのも同一人物かも知れない。なんせ、彼の家柄は上賀茂神社の社家である。上賀茂橋のたもとに「神樹」を植えるに似つかわしい人物ではないか。
 いまでは、このニワウルシは根元から2幹に分かれて、空高く大枝小枝をのばし、葉を茂らし、夏には以前のエノキにかわって快い木陰をつくってくれる。秋には扁平な莢のようなものに包まれた実をみのらせ束になってぶら下がっている。神様、自然の恵みをありがとう。上の写真を上下逆さまにして、一部分を切り取るとこんな風になりました。

basutei2

 英語のTree of God、God tree、あるいは、Tree of Heaven、ドイツ語のGöterbaumなどは、モルッカシンジュの現地名アイラント「天に届く高木」からこれを「神の木」と誤解したものとおもわれる。和名の神樹はその直訳である。漢名は「臭椿」、漢語の別名には樗、椿樹、鬼目などがある。なぜ和名がニワウルシなのかは何処にも書いてないから不思議である。中国北中部原産で、日本には明治8年に津田仙がウィーンから苗木を持ち帰り、養蚕の飼料として各地に植えられた。現在はそれがあちこちで野生化したといわれるが、古くから近畿地方に野生していたともいう人もいる。
 ざっと、この木の特徴を述べると、枝分かれが少なく、大きな羽状複葉の葉が、枝の先に集まって付くのが特徴的。高さは25mになる。樹皮は灰白色。皮目が多くて滑らか。老木では、縦に浅い割れ目ができる。葉は互生し、奇数羽状複葉。小葉は6〜12対あり、卵状長楕円形で鋭く先が尖っている。基部近くに大きな鋸歯が1〜2対あるのが特徴。鋸歯の先に腺点がある。葉はエリサン(えり蚕)の食樹。シンジュサン(樗蚕)と言う山繭もいhatomi/niwaurushi
hana/niwaurushiるが、この、2つは同じものではないが、近縁種で交配もできるそうである。花は、6月に枝の先に数個の円錐花序を付ける。雌雄異株。雄花の花弁は5個、雄しべは10本で雌しべは退化している。雌花には退化した雄しべが10本、先が5裂した柱頭がある。果実は狭長楕円形の翼果で、中央に種子がある。豆果のように見えるが、むけないので、鞘ではない。投げるとクルクル回って遠くまで飛んでいく。
 次に、その生態というと、水分を好むためか、ニワウルシは河川や小川などの堤防に生育していることが多い。単木状に生育しているときにはそのまま高木となるが、伐採されると枝分かれを形成する。毎年刈り取られても残りの期間で高さ数mにまで生長する。石垣の間などからも幹を出しており、場所によっては一面にニワウルシが生育して群落を作っている所もある。地下には地上部と同じ太さの根が横に広がっており、これから再生してくるものと思われる。1本立ちしている木の根から地上茎がでてくることはないが、一度地上部が伐採されると、多数の茎が出てくる性質は、アカメガシワやヌルデ、タラノキ、ハリエンジュなどにも見られ、結構多くの樹木が備えている能力である。 
 というわけで、近年、ニワウルシが河原に生育し始め、問題となりつつあるが、これは人間がいじめて根元からきってしまうからである。さらに、ダムの建設などによって大規模な増水が発生することが少なくなり、河原が安定して微粒の土壌が堆積して、ニワウルシが河原に侵入すると短期間で大きな樹林に生長してしまう環境画ある。その結果、洪水の際には水の流れを遮ることになって、しっぺ返しを喰らうことになる。単木だとちょうどいい木陰を作ってくれるが、はびこるとけっこうやっかいな樹木である。アメリカなんかでもでも野生化してはびこって問題になっているという。しかし、はびこらせたのは人間さまである。大きくなりたかったニワウルシをいじめた報いである。

木肌クイズ

巨樹調査  賀茂川右岸を歩く

aoimatsuri1 賀茂川は、高野川と合流する出町より上流では、賀茂川あるいは加茂川と書くならわしである。賀茂川の右岸の堤防上の道路を加茂街道と云う。南は葵橋の西南詰めから西賀茂北の森町の高橋までの堤防沿いの新しく開発された道路である。昔の鞍馬街道に替わって貴船や鞍馬などに抜ける主要な道路となっている。京都の三大祭りの一つ、葵祭はこの街道をみやびやかに行く。                kasennjiki
 道路の東側の賀茂川沿いの広い河川敷は鴨川公園となっていて、芝生や灌木が植栽され、ゲートボールやペタンク、テニスがたのしめるグランドもある。その間をぬって遊歩道や自転車道が整備されている。
 この河川敷から道路に出る法面(のりめん:土を盛ったりしてできる人工的な斜面のこと)にはニレ科の喬木、アキニレ、ケヤキ、エノキ、ムクノキが列をなして繁り、西側の法面の木々といっしょになって緑の明るいトンネルが出来ている所が何カ所かある。昔は交通量も少なく鬱蒼としていた印象が子供心に残っている。加茂街道緑のトンネル

 以前から堤防両側に生えている樹木の大きさを測って地図を作成してみたら面白いと思いつつ、本格的に着手するきっかけがなかった。さいわい、今年で3回目になるグリーンあすなら自然観察会「京都の巨樹探訪 III」のコースの一部に賀茂川の河川敷を葵橋から御薗橋まで歩くことがきまり、その下見も兼ねて出町から上賀茂神社まで、巨樹と云わぬまでも、めぼしい木の大きさを測って歩いた。環境庁の基準では幹周り3m以上の木を巨樹というらしいが、樹種によってはそれ以下でも巨樹にふさわしいものが多いし、2mを超えれば、そばによて見上げるとその存在感は大きい。1.50mになると両手で抱えられない。というわけで、別に何が巨樹かという基準も設けずに、眼につくままに片っ端から測ってみた。
 環境庁(当時)の第4回自然環境保全基礎調査の報告書である1991年発行の「日本の巨樹・巨木林 近畿版」では加茂街道の幹周り3m以上の巨樹は、2.6Km間に並木として20本が記載されている。その中で最大幹周の木は4.14mのムクノキである。樹種としてはムクノキの他にケヤキ、エノキ、エゴノキが記載されている。最後のエゴノキは明らかに誤記で、おそらくエノキのことであろう。この件については「洛中洛外虫の眼探訪」の2009年6月号の「エゴの木を植える」で言及したが、今回の調査でもエゴの木は見つからなかった。幹周りを計測した木は3,325m間の151本である。樹種は、アキニレ、ケヤキ、エノキ、ムクノキのニレ科の4種、クロマツ、ソメイヨシノ、ヤマザクラ、サルスベリ、トベラ、ヤマクワ、アラカシ、カキ、キンモクセイ、シダレヤナギである。
 それでは、出町橋のたもとのシダレヤナギの古木から御薗橋たもとのケヤキまで、賀茂川右岸の樹木を見て、測って、撮って歩こう。



 上に示したのは、Google Mapの航空地図上に、計測した主な樹木をプロットしたものです。図中の+マークをクリックするごとに大きくなります。地図上をドラッグすれば好きな場所に移れます。緑の樹木マークの一つに注目して、どんどん大きくしていくと冬枯れの落葉した枝が作る樹冠を見ることができます。樹木マークをクリックすればその木の名前が知れます。さらにより詳しくは、幹周りを計測した木、185本すべてを京都市の都市計画地図(縮尺1/2,500)上にプロットした図を、下流域(出町橋から出雲路橋まで)、中流域(出雲路橋から北山大橋まで)と上流域(北山大橋から御薗橋まで)の3つに分けて掲載しました。上の文中のの青色の上流域、中流域、下流域の文字ををクリックしてください。
 新しい発見等、個々の樹木についての説明は、時間切れで次号に掲載予定です。乞うご期待。

Anouncement

bigtrees-hyoushi


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脱原発にむけて

脱 原 発 トイレのないマンション
水洗便所 今年の6月の終りに、小さな小さな新聞記事が目にとまった。ウィーン発のその記事は「不要原発を太陽光発電施設に」と題してあった。それは1970年代に建設され一度も運転することなく廃止されたツヴェンテンドルフ原子力発電所で300枚の太陽光発電パネルが設置され、発電が始まったことを伝えていた。
 完成状態にあったこの原発は、1978年の国民投票で操業しないことがきまった。この脱原発の運動を始めた一人の男性を日本で呼んで、どのようにして、運動を成功に導いたのか、その経験談をきき、一晩、純和風家屋の我家に泊まってもらい、ざっくばらんな交流会を開いた。
 彼がやってきて最初に発した言葉は、「トイレをかしてくれ」ということであった。幸い、裏庭に面した半屋内の寒い便所に案内した。幸い、内部は水洗便所になって間もない真新しい西洋式便所であった。しばらくして、何か大声を上げて出てきた。ドイツ語だったか、英語だったか今となっては忘れたが、その云わんとしていることは分かった。
 水洗便所の洗浄水が、まず便器の前の手洗い水として機能してから、貯留槽に溜る、その仕組みに彼は驚嘆していたのである。

  1988年の春、東京の日比谷公園で「脱原発法制定」を目指して反原発全国集会が2日間にわたって開催された。これは,国民投票制度のない日本で、憲法で認められている請願権を足がかりにして、超党派の議員立法「脱原発法制定」の制定を目指したものである。350万筆もの署名を国会に提出したが、実らなかった。一昔前のことである。
 脱原発元年の今年の秋、反原発の全国集会「NO NUKES FESTA 2009 〜放射能を出さないエネルギーへ〜」が、10月3日に明治公園で開催される。前日の2日には分科会が総評会館で、その前後には関連自主企画があちこちでおこなわれる。
久米三四郎 久方ぶりの全国集会である。1988年の前は、1983 年に京都で、その前の最初の反原発全国集会も京都で開かれたのだ、と懐かしく思い浮かべていた矢先、反原発の闘士、久米三四郎氏の弔砲が耳を劈いた。もんじゅ廃絶の報を聞かずに他界されるされるとは、その心中を察するに余りある。平凡な言葉であるが、心からご冥福をお祈りします。

糞詰まり
 もんじゅも、六ヶ所の再処理工場も立ち往生したまま、原子力平和利用が叫ばれた1955年のジュネーブの国際会議以来、ずっとトイレのないままできた原発も、とうとう糞詰まりで凍結される時が近づいてきたようだ。